2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「大路渡し」とは、都で朝敵や重罪人を処刑する前に、都を南北にはしる 室町通りを、一条から六条まで荷車にのせて、引廻す行為をいいます。 罪人は必ず2人ずつのせられ、群集が見物するなか、処刑場がある六 条河原まで運ばれ、斬首されました。荒木村重の…
天正十年、本能寺の変が起き、信長が光秀に討たれます。都での戦 闘地域は比較的限定的ではありました。 しかし多くの人々が避難民となって、禁裏に逃れてきました。これは応 仁の乱でも、ここが焼け残ったように、禁裏は安全地帯であるという、 認識が都の…
一度は光秀らの説得をうけいれた村重でしたが、その釈明の為、安土に 向かう途中によった茨木城で、中川清秀に信長の恐ろしさを吹き込まれ 有岡城に戻り、織田軍との一年間におよぶ籠城戦に突入します。 しかし、清秀は来襲した織田の大軍の前に、あっさりと…
荒木村重の信長に対する謀反は、光秀にはどう映ったのでしょうか。 長女革手の嫁ぎ先でもあり、信長以上に驚き、困惑した事でしょう。 冷徹な判断力を有する細川藤孝は、以前より本願寺等の動きから、 村重の謀反を予見し、謀反三ヶ条を信長とその近臣に差し…
霜ガレニ 残リテ我ハ 八重ムグラ ナニハノウラノ ソコノミクヅニ 荒木村重の正妻だしが、有岡城から村重のもとに、送った歌です。 八重ムグラとは荒地に繁る雑草のことで、ソコノミクヅ二とは、難波 の浦の海底に沈んでいるゴミを指します。 霜ガレは歌経標…
光秀と煕子の長女革手は、荒木村重の嫡男村次に嫁ぎ、共に見目麗し く、仲睦まじい夫婦であったといいます。 天正六年十月、荒木村重は突如信長に対し、謀反に至ります。その主な る理由は定かではないが、毛利方からの調略に応じたとみるのが妥当と 思われ…