惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生⑥)

更に、明智宗家は、斉藤道三とその息子の内紛に巻き込まれ、可児長山城を落とされ、 残された領地を失うこととなる。まさしく光秀自身が述べたとされる、「瓦礫沈淪」な状況 に落ちいるのである。朝倉氏に仕官した時はこういった状態だったかもしれません。 …

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生⑤)

足利直義下文(土岐文書) 下土岐彦九郎頼重 可令早領知美濃國妻木郷 多藝庄内多藝嶋榛木地頭 職事 右任祖父土岐伯耆守頼貞 法師法名存孝今月十七日譲状可令 知行之状如件以下 暦應二季二月十八日 源朝臣(花押) これは土岐文書といわれる古文書群の中で、…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生④)

長山城に居住したという、明智宗家ならびに嫡男光秀の足跡はたどれないが、明智 一族となれば意外とその活動は室町幕府の中に散見できる。すこし専門的になりま すがこのあたりは大事なことなので話します。文明十六年(1484年)に、幕府内 では将軍足利…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生③)

光秀を明智氏嫡流であると考える研究者も多い。この説は光秀の父光綱は早世し、 弟の明智入道に養育され、斉藤道三の正妻小見の方が光綱の妹であったことから、 斉藤家の内紛に巻き込まれ、可児長山城は攻撃され、入道を始め、一族討ち死にし 落城したという…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生②)

光秀の妻煕子は妻木氏の出身である。妻木氏は、美濃守護土岐頼貞の九男頼基の子 明智頼重を祖とする氏族である。江戸幕府創設時、妻木氏は一万石程度の所領を持ち、 嫡流の無嗣断絶後も、支流の上郷妻木家が、その本貫地である妻木郷を治めた。その 他に上総…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生①)

まず、明智光秀という謎多い人の出自から語ろう。土岐氏支流のひとつ明智氏の出と いわれます。しかしこの明智氏は現在その嫡流、傍流にかかわらず正確な系譜を持っ て残存しているものがありません。 明智氏は、土岐氏から派生し、現在の岐阜県恵那市近辺に…

本能寺襲撃の謎にせまる(はじめまして)

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