惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

続濃州余談⑬

信州真田家と光秀を産んだ明智家とは、意外なところでその接点を見 出すことができます。 真田昌幸の六女は、光秀正室煕子の里、妻木家の流れを汲む下郷 妻木家二代目妻木頼熊に嫁ぎ、その次男の妻木幸頼は、子がなかっ た昌幸の孫、信吉の婿養子になってい…

続濃州余談⑫

正親町天皇の父、後奈良天皇の在位時、朝廷から寺社への勅使派遣は、 興福寺、延暦寺、大徳寺、北野社、岩清水八幡宮そして妙心寺に対して、 六月会、唯摩会開催や各寺の住職就任祝い等を目的としてなされました。 正親町天皇の御世になっても、大徳寺、延暦…

続濃州余談⑪

現在の天皇家と宗教の関係は、天皇家が飛鳥・奈良時代以来、仏教を国家 統治の要とおいてきた歴史からみれば、極めて特異なもので、天皇を神道の 祭祀者のみに限定するものとなっています。 昭和天皇が魂の救いをキリスト教のなかに見出したように、室町時代…