惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆⑤)

およそ百七十年にわたり続いた伊勢氏による政所頭人世襲は、伊勢貞孝 が、時の都の権力者である三好氏に討たれることで終焉を迎えます。 永禄五年、貞孝はそれまで同盟関係にあった三好氏に代わり、六角氏と 協調関係を結びます。この裏には十三代将軍義輝の…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆④)

室町時代、有力寺院や武家、公家をはじめ、多様な人々が様々な問題を 幕府に提示し、その解決を依頼しました。 幕府内でその任にあたっていたのが政所で、鎌倉幕府以来の先例等に 精通した奉行衆で構成されていました。 政所はもとは足利嫡流家の家務を掌る…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆③)

奉行衆とは奉行人とも呼ばれ、室町幕府内で右筆衆と称されるように 事務処理能力に長けた武家集団でありました。 室町幕府初期の行政・裁判機関は鎌倉幕府に倣っており、侍所、問注 所、引付方、政所等が設置されていました。 その後、管領制が成立すると、…