惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑧)

すでに述べましたが、近衛前久の父稙家の妹は、室町幕府十二代将軍足 利義晴の正室であり、十三代義輝、十五代義昭の実母であり、慶寿院と呼 ばれました。 又前久の妹二人はそれぞれ足利義輝、朝倉義景に嫁ぎ、近衛家と足利家 のこの時代における、密接な繋…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑦)

近衛家と薩摩島津氏の交流関係は深く長い。島津氏は本姓は惟宗氏であり 帰化系氏族秦氏の流れを汲み、惟宗忠康が平安末期、摂関家筆頭近衛家 の所領薩摩島津荘に荘園管理者として下り、その子忠久が島津氏を名乗っ たのが始まりといわれています。 忠久は源…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑥)

天文五年(1536年)、近衛前久は関白稙家を父として誕生します。母慶子は細川 高基の娘であり、久我通言の養女として嫁ぎました。稙家の妹慶寿院は、十二代 将軍足利義晴の正室であり、十三代義輝、十五代義昭の生母です。 近衛前久には武家の血が色濃く流れ…