惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㊲)

戦国末期、摂関家は天皇・朝廷とは独立した経済的基盤を有しており 、その経済力が、朝廷祭事等に貢献することはありませんでした。 困窮した天皇の暮らしと比較して、彼らのそれは安定しており、独自の 政治性を時代の変換点で発揮しています。 摂関家のう…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㊱)

室町時代以降、確認できる朝廷の儀式は、主だったものに (1月)後七日御修法 (2月)祈年祭 釈奠 (4月)賀茂祭 (6月) 月次神今食 (8月)釈奠 (9月)例祭 (11月)鎮魂祭 新嘗祭 ( 12月)月次神今食 追儺 があります。その他にも祈念穀奉幣…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉟)

広島、長崎への原爆投下により、日本の敗戦が決定的になった。政府、軍首 脳の敗戦後の、国体維持への試みは、連合国側の無条件降伏提示の前に 打ち砕かれていました。(四人の天下人⑱) すなわち、昭和天皇およびその一族の身分保証、ならびに天皇を軸とし…