惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

明智資料㊺

文明十一年(1479年)、足利義政とその子義尚の配下にある奉行衆同士 が争います。 応仁の乱後も、幕政に大きな影響力を持つ八代将軍義政と配下の奉行衆 に対し、その権力排除を目論む、現将軍義尚配下の奉行衆との確執がそ の原因ですが、前将軍側にも、多…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆⑦)

「言継卿記」の、永禄八年五月廿一日付けの記述に、足利義輝討死 後の様子が 明日奉公衆、奉行衆悉三好松永等ニ禮被申云々 とあり、将軍家臣である奉公衆、奉行衆が悉く、将軍を襲撃殺害した 三好氏らに、敬意あるいは謝意を表明するために、彼らを訪問する …

明智資料㊹

伊勢氏は平維衡を始祖とする伊勢平氏であり、南北朝時代貞継が政 所執事となり、その後この職を世襲しました。 有識故実の家柄であり、江戸時代、旗本伊勢貞丈は伊勢礼法を編纂 し伝統を継承していきます。 伊勢氏嫡流家が、足利氏家臣団に組み入れられた時…