惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

明智資料㊽

元弘三年(1333年)五月、南朝方の赤松円心らの軍勢がせまる中、六 波羅探題北方北条仲時らは、御伏見上皇、花園上皇、光厳天皇を伴 い、鎌倉への避難をはじめました。 近江の国に入ると、探題南方北条時益は野伏の攻撃に会い戦死し、 仲時らも行く手を阻ま…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆㊶)

遊行十一代自空上人は、尾張萱津光明寺住職を経て、康暦三年(1381年) 、尾道常称寺にて、遊行を唯阿上人より相続しました。 自空は、戦場での時衆の活動について、掟を定め、その第一項にこう述べ ています。 時衆が、武士に同伴して戦場に赴くのは、死者…