惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑮)

永禄三年正月廿七日、正親町天皇の即位礼が挙行されました。 「言継卿記」によれば、 今日御即位未刻始、----傳奏三人也、傳奏三人初例也 と記され 午後二時頃開始されたとあり、伝奏が三人であることは、初めてのことであると 嘆いています。又御手水役…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑭)

南北朝内乱の終結をもって天皇、朝廷は、すべての政治的機能を室町幕府に 奪われ、足利将軍ならびに幕府の権威を補完する存在となることで、生き長ら えます。 応仁の乱により、幕府の守護体制による全国統治は終焉を迎え、戦国時 代が到来することで、地方…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑬)

弘治三年、方仁親王は、父後奈良天皇の死去により、正親町天皇として即位します が、費用不足の為、即位礼が挙行されたのは三年後でした。 この時の費用の大部分は、毛利元就からの献金によるもので、足利将軍家は即位礼 挙行に対し冷淡な態度をとります。 …