惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉓)

天正三年五月、織田・徳川連合軍は三河長篠で、武田勢を打ち破ります。 武田勢は信玄以来の重臣の多くを討取られ、武田勝頼の西方への侵攻 戦は中断を余儀なくされました。(光秀戦闘史㉝㉞) 同年七月、明智十兵衛光秀は、惟任と改姓し日向守を受領して、以…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉒)

元亀元年三月、信長は正親町天皇の妹聖秀女王に対し、山城国にある女王 所領大往庄を安堵し、光秀は、秀吉とともに土地の名主らに、遅滞無く年貢 を納めるよう命じています。 信長が天皇のみならず、その係累までにきめ細かく対応していることがわか り、光…

続濃州余談⑩

正親町天皇とその朝臣が、もし織田信長という稀有な個性から、天皇とその 朝廷を織田政権内に、名実共に接収しようと働きかけられても、それに抵抗 する術があったとは考えにくい。 天皇の存在の有無にかかわらず、信長は国王への道を歩き始めており、宣 教…