本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と信長④)
今暁惟任被帰了。無殊儀珍重珍重。
去七日八日比興欠、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了。
信長一段ノキヨシ也。向州無比類力落也。
います。日記は、本日明方、光秀が帰途についたことを記し、特別な事もなくてよか
ったと述べています。なにか厄介ごとでもあったのでしょうか。
続いて、光秀の妹、御ツマキが死去したことを述べています。恐らくは、光秀の妻
煕子が妻木氏であるので、煕子の妹か、その親族ではないかと思われますが、
光秀の実の妹の可能性もあります。
信長の妾の中でも格別美人であると述べています。
煕子も美しく、その娘玉は、秀吉がその美しさゆえ、命を助けたといわれるほどの
絶世の美女であり、嫡男光慶も宣教師によれば、欧州の貴族の子弟のように美し
かったと言われています。
このように明智氏につらなるものは、美男美女の家系だったのでしょうか。
光秀が、この御ツマキの死去を、比べるものがないほど落胆したと述べています。
信長の私生活面においても、正室井口殿、母土田御前そしてこの御ツマキなど、
明智氏と、関係性を持つものがいたことがみてとれます。
御ツマキの死去を光秀が、何故このように落胆したのかはわかりませんが、彼女
の存在が、安土城内での、光秀の活動を円滑にしていたのかもしれません。