昭和37年9月、重要文化財に指定されて いた、浴鐘楼は放火により焼失しました。 これを契機に京都市内の、文化財の防災 設備が整備されたそうです。 現在のものと比較して、大きな建物だった ようです。
光秀と臨済宗妙心寺派との結びつきは強固であった。明智風呂について はすでに述べていますが、この建物は光秀の没後、天正十五年に、塔頭 太嶺院の僧、密宗宗顕が建立したといわれます。(濃州余談④) その後焼失し明暦二年(1656年)に再建されています。…
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