惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-07-06から1日間の記事一覧

濃州余談㉙

吉田兼見の父兼右は、北条氏と密接な関係を構築しており、北条氏は吉田家 を通じて、都やその周辺の情報を収集し、自家の情勢判断の材料としていまし た。 後北条氏の祖北条早雲は、伊勢盛時といい、足利幕府政所執事を代々務める 伊勢氏の出身でありました…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常⑱)

天正八年閏三月、織田信長と本願寺十一世顕如との間で、和議がまとまり ます。この和議に反対する顕如長男教如も八月には、石山本願寺を去り、 その直後この一大城塞は焼失します。 こうして本願寺は織田政権に屈服し、その支配下に入りました。 同年播磨国…