天正七年五月六日、光秀は小島助太夫、田中宮内等丹波の土豪 に八上城攻撃を命じます。 「兼見卿記」の五月十八日付けの記述には 丹州波多野在城今度惟向取詰、近々可令落着云々 とあり、八上城陥落が間もないことがわかります。 六月一日には 丹州高城落城…
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