永禄十一年(1568年)、権大納言久我通俊は勅勘をうけ、その職を解かれ ます。正親町天皇御寵愛の目々典待との密通を疑わたのがその理由でし た。 天皇の怒りは激しいもので、永禄十三年に通俊の父晴通は、信長の仲介で 万里小路惟房らを通じ天皇に赦免を求…
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