惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2015-09-20から1日間の記事一覧

続濃州余談⑥

永禄十一年(1568年)、権大納言久我通俊は勅勘をうけ、その職を解かれ ます。正親町天皇御寵愛の目々典待との密通を疑わたのがその理由でし た。 天皇の怒りは激しいもので、永禄十三年に通俊の父晴通は、信長の仲介で 万里小路惟房らを通じ天皇に赦免を求…