惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2017-02-20から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆⑨)

伊勢貞興は幼名を、三郎、与三郎、熊千代と言い、永禄十一年十月二十 二日の「言継卿記」内の記述で、その存在が初めて確認されます。 足利義昭が十八日将軍宣下を受け、その返礼の為参内した折、貞興は 伊勢三郎七歳、非御供 とあるように、幼少の為、御供…