惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料⑦




なけきても 名残つきせぬ なみた哉 猶したはるゝ なきかおもかけ
むつましき むかしの人や むかふらむ むなしき空の むらさきの雲
あたし世の あはれおもへは 明くれに あめかなみたか あまるころもて
みても猶 みまくほしきは みのこして みねにかくるゝ みしかよの月
たつねても たまのありかは 玉ゆらも たもとの露に たれかやとさむ
ふくるよの ふしとあれつゝ ふく風に ふたゝひみえぬ ふるあとの夢

天正十六年六月二日、信長の七回忌に近衛前久が詠んだ追悼
歌です。「なむあみだぶ」となるように、最初の文字が整えられて
います。
天正十年二月太政大臣に宣下され、五月に辞任しています。
まさしく甲斐へ侵攻し、東国平定をもくろむ織田軍が官軍となる
為に、錦の御旗に仕立てられた事がわかります。