惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料⑨



光秀は刀剣の収集マニアであったようです。刀鍛冶の息子であると
の説もあるぐらいです。

坂本城落城のおり、明智秀満はそれらが失われるのを惜しみ、他の
財宝とともに、包囲する秀吉方の堀秀政に、目録をつけて譲り渡して
います。真偽のほどは不明ですが、秀満は倶利伽羅の吉広江の脇差
のみを残し、これは光秀が最も愛した道具であるので、死後光秀に会
い手渡すつもりであると言ったとあります。

光秀の刀剣好きがよく現れているエピソードです。

天正九年に婿である細川忠興は、鎌倉時代豊後の名工行平作の太刀
を光秀に進上しています。(光秀とその家族②)

光秀は嬉しかったことでしょう。細川氏はこの名刀を数振所有していた
ようで、後に細川藤孝烏丸光広に一振送っています。(古今伝授の
太刀)

藤孝が光広に贈呈した太刀にも表に、梵字倶利伽羅が彫られていま
す。もしかしたら秀満があの世で光秀に渡すつもりの脇差は、朝倉氏か
ら信長が奪った物ではなく、藤孝が信長を通じて光秀に送った、行平だ
ったのかもしれません。

光秀は、藤孝との友情の証として、この脇差をことさら大事にしていた
のでしょうか。

そしてこれらの刀剣は、武人光秀の証でもありました。


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