惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその時代⑥)


軍事の天才信長は、又経済政策のエキスパートでもあった。いかなる
宗教も信仰せず、マキャベリズムを信奉する悪の化身であり、徹底した
現実主義者でありながら、理想主義的な側面をも併せ持つ、戦いが連
鎖する時代が産んだ軍人皇帝でありました。

彼の目論んだ帝国は、彼の死により瞬時に瓦解し、変質した形でその
路線を継承した秀吉へ、と受け継がれていきます。

秀吉の明国併合の野望は、この路線の集大成以外のなにものでもな
く、その失敗により豊臣政権は崩壊します。

信長にはシステム構築の才が欠けていました。システムとは人の和の
上に成り立つものであり、孤高の軍事天才信長の不得意とするところで
ありました。足利尊氏には直義、豊臣秀吉には秀長という、有能な補佐
協力する弟があり、その政権樹立に貢献しました。

実弟信行を、早期に殺したせいか、信長には彼らに相当する人物が見
あたりません。

信長の大きく欠落したその部分からくる無防備さを、的確に突いたのが
光秀でした。