惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料⑪


本能寺は一四一五年から一四三二年までは「本応寺」と寺名を使い、一四三三年から現在まで「本能寺」を使用している。その理由は「門八品弘之寺」の言葉より本応寺・本能寺という寺名にした。また現在能という字の一部を去に替えて使用しているが、これは五度も火災に遭遇したので匕(火)を嫌い去の字に替えたものである。上杉本の「洛中洛外図屏風」では「本能寺」と書かれている。(本能寺HPより)











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