惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人③)


岐阜の阜とは、中国語で、土、山の意味であり、盛、多の意味を合わせ
持ちます。物阜民豊は、阜を用いた四字熟語で、物資が多く、民衆が豊
かであるという意味になります。

信長公記」によれば

尾張国小真木(小牧)山ヨリ、濃州稲葉山ヘ御越シナリ、井口ト申スヲ
今度改メテ、岐阜ト名付ケサセラレ

とあり、新しくこの名前を命名したことがわかります。

この命名には、沢彦和尚が関わったと伝わりますが、それを裏付ける確
実な資料は存在しません。

極めて唐風な名前ですが、土岐氏の岐を用いる事で、土岐氏の流れを継
承するかのような意味合いを持たせ、新しく支配者になった織田氏の、美
濃国人、領民らに対する、人心掌握に役立てようとする、意図がみてとれ
ます。

沢彦和尚は、信長の名前の名付け親としてだけではなく、岐阜そして天下
布武の命名者として登場しますが、確実なことはわかりません。

しかし、その先祖を中国に持つ、臨済宗妙心寺派に属するこの僧侶が、信
長の思想形成に、影響を及ぼした可能性は高いと思われます。