惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-04-05から1日間の記事一覧

濃州余談⑥

武田勝頼の異母弟、仁科盛信が討死にした高遠城は 現在は桜の名所として有名です。コヒガンザクラが咲き 乱れる。甲斐武田氏滅亡の折、織田軍に対して組織的 抵抗が行われた唯一の場所です。

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と信長⑮)

多聞院日記は、天正十年六月二日、光秀が本能寺に信長を襲撃したその 日の筒井順慶の動きを以下のように記述しています。 順慶今朝京ヘ上処、上様急度西国へ出馬トテ、既ニ安土ヘ被歸申與欠、依 之被歸了。 順慶はこの日早朝に、京へ向かったが、信長様は西…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と信長⑭)

天正十年四月十五日、吉田兼見は三月二十三日に派遣した、鈴鹿喜介の帰国 により、信長、光秀、近衛前久、森成利らからの返状を受け取ります。彼らはすで に、安土への帰路にあったのですが、近衛前久からの返書により、万里小路充房 が「勅使」として東国へ…