本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と信長⑮)
日の筒井順慶の動きを以下のように記述しています。
順慶今朝京ヘ上処、上様急度西国へ出馬トテ、既ニ安土ヘ被歸申與欠、依
之被歸了。
順慶はこの日早朝に、京へ向かったが、信長様は西国へ出馬するとのことで
安土ヘ戻られた。よって順慶も奈良へ帰ったとあります。
その後、時系列的に、山﨑屋東武が白瓜を持って見廻りに来て、話をしたと
日記は続きます。
そして、同日に、本能寺の出来事を伝えています。奈良は京からも近く、情報
が伝わるのも速かったようです。
順慶は何のために、京へむかったのでしょうか。
順慶は当初、本能寺で信長を討った光秀に味方します。しかし細川親子の動
きを見てか、その後は中立的な立場をとり、最終的には秀吉に味方します。
順慶も光秀の与力として、甲斐侵攻に従軍しています。順慶の心の内部にも、
信長を討った光秀に同調する何かがあったと思われますが、それはこの甲斐
侵攻時に光秀の心の内部に生まれたものと、同じだったのかもしれません。