惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-06-20から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常⑪)

天正七年八月、光秀は赤井忠家の籠る黒井城を落城させます。これによ り光秀の丹波平定戦は完了します。 ここに至るまでの道程には厳しいものがあった。天正四年一月の黒井城 攻めでは、波多野一族の離反にあい、光秀軍は大敗を喫します。 かろうじて都に逃…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常⑩)

非合法な殺戮をもって、反対者を弾圧して行う政治形態を恐怖政治という。 又統治する民衆に恐怖感を持たせる事で、自らの権力を保持する政治手法 でもあります。 信長の性格からくるこの統治方法は、その家臣たちにも拡大再生産されて とどまるところを知ら…

濃州余談㉔

元亀二年、岩村城主遠山景任は病死します。後継者のなかった遠山家は 信長六男御坊丸を養子に貰い受け、景任正妻お直(おつや)の方が後見 となり女城主が誕生します。 お直の方は、信長の父信秀の妹であり、叔母にあたり、織田家にとり、この 岩村の地が、…