惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-06-25から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常⑭)

「言継卿記」の永禄十三年(元亀元年)二月三十日(旧暦)付けの日記 に、信長上洛の記載があります。 信長は岐阜城を出発して、申刻都に到着します。 織田弾正忠信長申刻上洛、公家奉公衆、或江州或堅田、坂本、山中 等ヘ迎二被行ーーーーーーー 則明智十兵…

濃州余談㉗

織田氏にとって、長宗我部氏は長期間にわたり、友好的な関係が続いた 数少ない間柄でした。 天正三年、土佐一国を統一した元親は、四国の他の領主との対抗上、成 長著しい信長に接近します。 信長はそれに対し、元親嫡男弥三郎の烏帽子親となり、信の一字を…