惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-07-09から1日間の記事一覧

濃州余談㉚

山科言継は、永禄十二年七月に、信長の居城のある岐阜を訪れています。 八日に都を出発し、坂本宿の布屋に宿泊し、九日は朝妻の北村萬介のとこ ろで昼食をとり、垂井の木村甚介のところに、その夜は宿泊しています。 代金は連れの者が支払ったのでしょうが、…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常⑳)

天正四年五月七日、巳刻、酉刻に大和国の当山(金峯山)が鳴動し、二筋 の光が、大阪にむけて走ったと「多聞院日記」に記されています。 大阪においては、この巳刻、織田信長が石山本願寺勢と、激戦を展開中で あり、酉刻、信長軍は勝利したといいます。 多…