兄足利義輝が、三好三人衆らに殺害され、義昭も命を狙われます。 義昭は奈良をひそかに脱出し、和田惟政を頼ります。 惟政とともに、六角氏を頼りますが、その対応は冷淡なものでした。 その後、越前朝倉氏のもとに赴きますが、優柔不断な朝倉義景は、 義昭…
天正元年(1573年)四月一日、織田信長は、吉田兼見に対して父兼右 の「南都滅亡時には、北嶺も滅亡し、都に災いが起こる」との発言はい かなる根拠によるものかと問いただします。 兼見は「父兼右の発言は根拠なきもの」と答えます。 信長はこれを「奇特」…
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