「言継卿記」は、元亀三年から天正三年までの四年間が、完全に欠 落しています。 元亀二年十二月二十九日付の記述に 村井民部少輔、霜當ヘ羅出之由、申立見舞、細兵、明智等 被呼之、茶湯之云々。 とあり、光秀らと茶の湯を楽しんだとあります。 更に同日 成…
「言継卿記」の永禄十三年(元亀元年)一月二十六日付の記述には 、明智光秀に関して、以下のように述べられています。 未下刻ヨリ奉公衆方、年頭ノ禮二能向、路次次策、竹内冶部少輔 、三淵大和守、-----、曽我兵庫頭、明智十兵衛(濃州ヘ下 向云々)…
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