慶長十八年、吉田兼見弟梵舜は駿府に赴き、家康に「続日本記」の 写本を献上し、同時に吉田神道を講義しました。 家康は秀吉同様すっかりこの教義に魅了され、更なる講義を所望し たといわれています。 元和二年、豊臣氏を滅亡へと追いやった家康も病の床に…
吉田兼見は、本来は兼和といい、天正十四年、後陽成天皇即位にあたり 天皇の諱である和仁を避けて、兼見と改名しました。 その足跡に関しては、彼の残した日記「兼見卿記」により、詳細に知るこ とができます。 兼見は慶長十五年(1610年)、豊臣秀吉の神廟…
菊枝桐紋蒔絵提子 高台寺蔵 これも秀吉との思い出の品であったのでしょうか。
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