惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-12-07から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀戦闘史㉔)

「三方原の戦い」の全貌はよくわかっていません。現地を訪れてみる と浜松城と古戦場のあいだが至近距離であることに驚きます。 浜松城に近づく武田軍に対しての戦前日の軍議では、城内に篭城し、 武田軍の通過を待つ慎重派と、城外での一戦を望む決戦派に分…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀戦闘史㉓)

天台宗座主覚恕は、信長による叡山焼討ち時、叡山におらず難を免 れ、その後甲斐武田氏の庇護をうけ、都に帰ることなく天正二年甲府 で死去します。 覚恕法親王は御奈良天皇の皇子で、正親町天皇のただ一人の弟 宮でした。延暦寺山門派の門跡寺院曼殊院で得…