惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2015-01-17から1日間の記事一覧

濃州余談㊻

天正五年八月廿四日の「兼見卿記」の記述には、荒木村重から 摂津有岡城内に山王社を造りたいので、神体の事を兼見に頼む 、と清原三位を通じて言ってきたとあります。 兼見はこれに対して、社の大小等を尋ね、書状をしたため鈴鹿兵 尉助に持たせて摂津へ赴…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀戦闘史㊹)

松永久秀、久通父子が、勝手に戦線を離脱したほぼ同時期に、はるか 北陸の地で、信長の許しを得ず勝手に前線を離れ、帰還した武将がい ました。 「信長公記」には 八月八日、柴田修理亮、大将トシテ、北国へ御人数出ダサレ侯。 滝川左近、羽柴筑前守、惟住五…