「兼見卿記」内には、時折謎めいた名前の人物が登場します。 天正七年八月八日の記述に 先年祈念之義濃州加児六郎左衛門尉息彦法師、爲湯治令上 洛、爲礼来、青銅百疋持来--------僧一人出座也 とあるように、美濃の加児六郎の息子彦法師が上洛して…
天正七年七月三十日、正親町天皇は、丹波宇津城を攻略した光秀 に、丹波山国荘の御料所を回復したとして、馬・鎧・香袋を賜りまし た。城を陥落させたのは、七月十九日でしたからすばやい反応で、 朝廷がこの報せを心待ちにしていたことがわかります。 翌年…
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