本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑧)
利義晴の正室であり、十三代義輝、十五代義昭の実母であり、慶寿院と呼
ばれました。
のこの時代における、密接な繋がりを見て取れます。
る二条城を襲撃します。前日、一旦は都からの撤退を決意した義輝でした
が、義輝側近、奉公衆一同の籠城徹底抗戦の意見に押し切られ戦端を開
きました。
数に勝る三好勢らに、義輝は善戦しますが、武運つたなく惨殺されます。
れ生き長らえます。
信長の軍事力を背景とし、三好勢を駆逐して上洛した足利義昭は、兄義輝
殺害の張本人の一人に近衛前久がいたとみなしていたとされます。
近衛前久と三好勢らとの接点には不明瞭なところが多いのですが、足利義
栄の将軍就任に前久が関与していることは確かで、、前久妹のみが生き残
ったこととあわせて、義昭と同調した前関白二条晴良らにより、都より追放
されます。
いものがあります。
しかしこの人物の一連の行動をみていると、三好勢を裏で動かし、義輝暗
殺を策し、近衛家を政権中枢に押し上げる意志があったとはとても思えま
せん。
そこにあるのは、前久の脳天気な注意力散漫であり、そこからうまれる不用
意な言動でした。
近衛家荘園の足利化を目論む義昭の術中にはまり、朝廷内部の権力闘争
の標的にされ、都近辺を漂流することとなった前久の姿にそれをみてとれま
す。
れ翻弄された人物がまさしく近衛前久でした。