本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会⑬)
が、費用不足の為、即位礼が挙行されたのは三年後でした。
挙行に対し冷淡な態度をとります。
「言継卿記」には、即位礼に対する、関白近衛殿の無関心ぶりが記されています。
師追放を目的とする実利的なものでした。
の元服費用の供出を求めています。
翌年九月、信長は足利義昭を擁して上洛します。この時朝廷は、義昭と対立する義栄
を将軍に補任しており、信長の出方に不安を抱きます。
信長は細川藤孝らを御所に派遣し警備にあたらせ、不安感を払拭し、更にご祝儀とし
します。
さらに荒廃していた御所の修理にとりかかり、朝廷運営費用捻出の為、京の町衆に米
を貸し付け、その利息を朝廷の歳入にあてました。
このように信長は、京制圧の初期段階から天皇、朝廷に対し保護政策をとり、光秀ら
をその任にあたらせました。