惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2016-04-30から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉗)

10世紀になると、律令的戸籍制度は崩壊し、氏姓は、源・平・藤・橘をは じめ、紀・菅原・大江・賀茂・小野・惟宗・清原等に大きく集約されます。 光秀が名乗った惟任の姓は、光秀以前に、その名を持つ特定の人物の存 在を確認することはむずかしいですが、…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉖)

信長は、右大臣を辞した後も、しばしば上洛します。祇園御玉霊繪を見物 したり、二條屋敷で相撲を興行し、公卿らは残らず見物に訪れています。 又、安土と都のあいだに、新道を整備し往来を活発にしています。 天正六年八月には信長は禁裏に白鳥と塩引を進上…