惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉟)





広島、長崎への原爆投下により、日本の敗戦が決定的になった。政府、軍首

脳の敗戦後の、国体維持への試みは、連合国側の無条件降伏提示の前に
打ち砕かれていました。(四人の天下人⑱)

すなわち、昭和天皇およびその一族の身分保証、ならびに天皇を軸とした国
家体制の維持はありえませんでした。

しかし、明治天皇昭和天皇という、西洋列強に劣らない強勢な国家を構築
する理念を持つ、二人の強力なリーダーの影響力は、現在も日本国民の中
に色濃く残っています。

結局のところ、連合国により天皇制は廃止されず、我々は日本国家を思うと
き、常に天皇とともにある事を自覚します。日本の国歌が天皇の御世を祝う

君が世は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

であることからもわかります。

島国である日本で、米国式の行政機構や選挙方法の導入は、即北海道、東
北地方北部の共産化を促すと、米国首脳や占領軍トップは認識しており、米
ソ対立の影響下、思わぬことで国体は維持されたのでした。

天皇家万系一世であるとは思えませんが、同一王家がこれだけ長期にわた
り、日本の国家体制に影響を持ち続けたのは、奇跡としか言いようがありませ
ん。

現在の日本において、天皇の置かれた状況は、信長と光秀の時代における天
皇と朝廷の状況に類似点が多く見られ、興味深く思えます。

しかし当時、信長や光秀の天皇に対する認識はもっと世俗的なものであり、相
互に切磋琢磨し精力的に生き抜いていたのも事実でした。





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