本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㊲)
戦国末期、摂関家は天皇・朝廷とは独立した経済的基盤を有しており
、その経済力が、朝廷祭事等に貢献することはありませんでした。
困窮した天皇の暮らしと比較して、彼らのそれは安定しており、独自の
政治性を時代の変換点で発揮しています。
して家門を形成しており、その関係性は密接であり、同族意識をはらむ
ものでした。
に一門を形成し、その活動には連繋がみられました。
室町時代、この二派のせめぎ合いは、時の幕府の権力者、将軍、寺社
内の争いと、連動して複雑な状況を展開していきます。
姻戚関係を形成して、幕府末期には、それぞれの領土保全に努めてい
ました。
しかし、時の権力者の動向に、両派ともにふりまわされており、九条家、
近衛家の当主ともに、関白を罷免されたり、都からの出奔を余儀なくさ
れています。
命を狙われ都を出奔します。又、九条稙道は上洛した信長に対し、横
柄な態度で接した為、信長の不興を買います。
に将軍家と密接になった九条派と距離をおきました。
目先だけの集合離散が繰り返され、信長と足利義昭が対立すると、前
久は信長との関係性を深め、信長のとりなしで都に復帰します。
すっかり政治の場から退出しており、信長の庇護の下、生計を成り立た
せていきます。(光秀と朝廷・公家社会⑥⑧⑩⑪)
の理由ですが、両派の政治性がこの次元まで低下したことを如実に表し
ています。
藤原道家