文明十一年(1479年)、足利義政とその子義尚の配下にある奉行衆同士 が争います。 応仁の乱後も、幕政に大きな影響力を持つ八代将軍義政と配下の奉行衆 に対し、その権力排除を目論む、現将軍義尚配下の奉行衆との確執がそ の原因ですが、前将軍側にも、多…
「言継卿記」の、永禄八年五月廿一日付けの記述に、足利義輝討死 後の様子が 明日奉公衆、奉行衆悉三好松永等ニ禮被申云々 とあり、将軍家臣である奉公衆、奉行衆が悉く、将軍を襲撃殺害した 三好氏らに、敬意あるいは謝意を表明するために、彼らを訪問する …
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