惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2017-03-06から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆⑪)

慶長二十年(1615年)五月、豊臣秀頼、淀殿は大阪城、山里曲輪にて、自害し ます。この時、ともに自害した者のなかに阿古局がいました。 阿古局は和期局とも言われ、父は伊勢貞為ないしは貞良といわれます.。史料 的に整合性が確定できず、年齢、事跡らから…

明智資料㊻

伊勢貞為は貞興の兄であり、政所執事であった祖父貞孝と父兵庫頭貞良 が、足利義輝と対立し、挙兵戦死すると、伊勢氏家臣団や貞興とともに若狭国 へ逃れました。(奉行衆・奉公衆⑥) 三好三人衆により義輝が殺害されると、貞為は足利義栄に仕えますが、義輝 …