本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆⑪)
ます。この時、ともに自害した者のなかに阿古局がいました。
阿古局は和期局とも言われ、父は伊勢貞為ないしは貞良といわれます.。史料
的に整合性が確定できず、年齢、事跡らから貞良の娘の可能性が高いと思わ
れますが、断定はできません。
しだされたのは、高い教養を身につけていたからと思われ、その後淀殿の侍女
となります。
淀殿が伊勢菊(本名が菊で伊勢氏が出自であるからそう呼ばれた)を信頼して
いたのは、淀殿関係の書簡からわかります。又阿古局もそれに答えて共に最後
を迎えたのでしょう。
日局が抜擢されます。
阿古局同様高い教養を身につけていました。
父斉藤利三が高い教養人であったのは、当時の人々も認めており、阿古局、春
日局ともに、当時女性として最高の教養があつたからこそ、天下人の嫡男の養
育係りに選ばれました。(四人の天下人㊱)
幕府奉行衆の集団は、武家社会で当時最高の知識集団であり、その家族も高
い教養を習得していたのがわかります。
おり、もしかしたら妹の秀忠正室江に、お福を推挙したのは阿古局だったかも
知れません。