惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と信長①)



織田信長明智光秀の縁戚関係を示すものには、以下の3つがあります。

(1) 信長実弟信行の子、信澄は光秀の娘を後室に迎えている。

(2) 信長実母土田御前の父土田秀久は、美濃国可児郡に拠点を構える土豪
土田氏の惣領であり、その実母は明智氏を出自とするものであるという。

又秀久妹いぬゐは、織田信秀の父信定の正室であり、信長の実母、祖母ともに
明智氏に繋がるものであると考えられる。

(3) 信長正室井口殿は、斉藤道三と小見の方の娘であり、小見の方は光秀
の父、光綱の妹であり、井口殿と光秀はいとこ同士であるというもの。


(1)は、光秀が丹波平定の折、戦に破れ坂本に帰った時、信澄が見舞いに訪れ
たことが、資料から見出され、又光秀の本能寺襲撃の後その関係を疑われ、殺害
されていることからも事実であることが確認できます。

(2)は、ほぼ事実ではないかと思われます。秀久の時、土田氏の所領は数万石程
度あったといわれ、主家筋につらなる明智氏と、縁戚関係が、地縁的にみても当然
形成されていたと思われます。

(3)は、光秀の父、光綱の存在が資料上確認できず、不明であるというのが実情
と思われます。しかし光秀の、織田家中での異常とも思われる短期間での出世に
は、そういった繋がりがあったかもしれない、と感じさせるものがあります。