惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談④


京都妙心寺境内に、かって浴室(宣明)として使用されていた
建物があります。この浴室は「明智風呂」と呼ばれています。
天正十五年、塔頭である太嶺院の僧、密宗が敗死した光秀を
慰霊する為に建立したといわれています。それ以来この浴室は
禅僧の入浴に使われるだけではなく、光秀を供養する場である
妙心寺では認識されていたようです。
光秀は吉田兼見宅にわざわざ風呂を所望しに、訪れていますか
らよほど風呂好きだったのでしょう。

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