2014-03-18 濃州余談④ 日本史 京都妙心寺境内に、かって浴室(宣明)として使用されていた 建物があります。この浴室は「明智風呂」と呼ばれています。 天正十五年、塔頭である太嶺院の僧、密宗が敗死した光秀を 慰霊する為に建立したといわれています。それ以来この浴室は 禅僧の入浴に使われるだけではなく、光秀を供養する場である と妙心寺では認識されていたようです。 光秀は吉田兼見宅にわざわざ風呂を所望しに、訪れていますか らよほど風呂好きだったのでしょう。