本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその時代⑮)
拡大していました。
信長がキリスト教を庇護したのは、その教えに帰依し、強い信仰心を持ったから
過ぎません。
ています。
たといわれます。安土城の女中たちが、無断で城を留守にしたのに激怒し、そ
れをなだめにきた参詣先の桑実寺の住職たちを、女中ともども殺害しています。
殺された住職には、何も罪がないように思えるのですが、天台宗寺院を信長は
心のどこかで嫌悪していたのでしょうか。
殺しています。この時は信長も甲斐にいましたから、信長の了解あるいは、指
示の元実行されたと考えられます。宗派をとわず、虐殺が行われています。
海外でも、権力者による弾圧虐殺は、枚挙に遑がありませんが、対立する特定
宗派に限る事が多いように思われ、宗派かまわずの、信長の場合とは異なりま
す。安土城下には、教会が作られ、賛美歌が流れていたといいます。これらの
知らせに宣教師や信者は歓喜したことでしょう。
しかし信長は、恐らくキリスト教が無視できないほどの、政治的な大勢力になれ
ば、秀吉と同じく容赦なく弾圧をくわえたであろうと、容易に推察されます。
宣教師は、信長は無神論者であると断定しましたが、その指摘は正確でした。
桑実寺