惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談⑬


光秀が、どのような宗教観を持っていたかは、よくわからない。しかしフ
ロイスが光秀の事を、「仏教と神道の大いなる友である」と述べているよ
うに、その時代の一般的な宗教心を持った人であったと思われます。

光秀の居城であった坂本城の近くにある西教寺には、滅亡した明智一族
の墓があります。

この天台宗系の寺院は、延暦寺焼き討ちの時焼失し、その再建には、こ
の地の新たなる支配者になった、光秀の手助けがあったと言われていま
す。

延暦寺焼き討ちにおける、この地域での掃討戦は、光秀軍が主力であり
、もしかしたら、この寺院を焼いたのも光秀であったかもしれません。

この寺院には、光秀が戦死した家臣の供養を執り行った際に、供出した
供養米の寄進状が残っています。


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