惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料⑳


戦国時代の武将にとり、戦い前の連歌興行は、敵に対して、呪いをかける
呪術の意味合いがあった。出陣をする前に、連歌会を催し、出席した全武
将の詠んだ和歌すべてを、神前に奉納して戦勝を祈願しました。

又歌を詠みつなぐなかで、相互の連帯感と戦意高揚を図りました。

この出陣連歌は、戦国時代多く見られ、愛宕山における光秀らの、愛宕
韻もその一つでした。

光秀の発句から始まり、嫡男光慶の結句で締めくくる事で、明智家の武運
長久と、末永く家運が隆盛することを祈願しました。

まさしく光秀の信長打倒の表明でありました。

しかし残念ながら、明智家家中の武将の参席はなく、光秀の連歌仲間の
歌ばかりとなっています。

歌を詠める家臣が少なかったからとも考えられますが、そこに機密性を重
んじた光秀の慎重さもみてとれます。

愛宕山 威徳院
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