惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料⑲


織田信忠は、妙覚寺に宿泊していたが、本能寺の異変に気づき、駆けつ
けようとした矢先、村井貞勝妙覚寺に飛びこんできて、本能寺がすで
明智軍の手に落ちたことを知らせます。

極めて短期間に戦闘が終了し、信長が自害に追い込まれたことがわかり
ます。

貞勝の進言により、妙覚寺から二条御所に移るが、装備で圧倒的に劣る
信忠方は、隣接する、近衛邸の屋根に登った、明智軍の銃火により、そ
の数を減らし、追い詰められ、信忠は自害します。

開始から終結まで、三時間程の戦闘であったようです。信忠の手勢はほ
ぼ千人ぐらいだと思われ、その大部分は討ち死にしました。

本能寺、二条御所周辺には戦闘終了後、運び出された織田方の首の無い
屍骸が数多く見られたそうです。

二条御所(上杉洛中洛外図より)
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