濃州余談⑳
言継邸を訪れています。
最初は、中御門資胤のお供で訪れていましたが、季節の新茶や若鮎を送
って気に入られたのか、頻繁に言継邸を訪れ、雑談をしたり、雙六に興じ
ています。
この雙六は、二人が対座して二個の賽を竹で作った筒に入れて、振り転が
し、出た目の数だけ、雙六盤に並べた駒石を進め、早く相手の陣に入った
方が勝利するもので、賭け事でありました。
山科言継はこの時期、ほぼ連日賭け雙六をやっていて、最初のうちは石谷
ら悪友がくれば、 将雙六打之了 と書き残していましたが、連日の事でも
あり、省略されて 来如例(いつもの如し) とだけ書き残しています。
永禄九年八月二十七日付けの「言継卿記」の記述には
石谷孫九郎被来、土州長宗〇部相尋之、手日記七八ヶ條被尋
とあり、長宗我部元親が、頼辰と言継邸を訪問したことが、記されていま
す。
、盟主的存在として勢力を持つていたので、都の公家となんらかの関係を
持つ必要が長宗我部氏にはあったのかもしれません。
頼辰は明智氏滅亡の後、四国に渡り、長宗我部氏に仕えます。頼辰の娘
は元親嫡男信親に嫁ぎました。
親ともども戦死します。