惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常⑧)


信長による佐久間信盛父子に対する粛清劇は、まさしく電撃的に行われ
た感があります。

付き従う数名の家臣とともに、高野山へと追い立てられ、そこにも留まる
ことができず、信盛は十津川村武蔵で最後を迎えます。

しかしよく考えてみれば、この事件も不自然な事が多い。信盛は歴戦の
武将であり、佐久間家にはそれなりの家臣団と人脈もあり、このような辱
しめ受けたまま、最後を迎える事は考えにくい。

松永久秀荒木村重そして多くの武将が、信長と対立し長期間の戦闘に
突入しています。

この粛清劇は事前に信長により、シナリオが書かれ、織田家中の誰かに
より、巧妙に実行され、信盛は歴史の闇に葬り去られたかもしれません。

明智資料㉒に見られるように、その実行犯が光秀であった可能性はあ
ると思えます。

信盛の身柄をその家臣団から隔離し、影響力を排除した上で、秘密裏に
高野山に送ったのかもしれません。

この信盛粛清劇も、闇のなかにありますが、光秀がそれに関与したかど
うかは別にして、織田家の家臣団に、大きな衝撃を与えたことには疑い
がありません。

ひっそりと佇む信盛の墓(十津川村武蔵)
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