惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料㉒


佐久間信盛追放後の畿内において、摂津衆、大和衆らを、与力として
統率する事になったのが、光秀でありました。

「寛政重修諸藩譜」の佐久間信勝(正勝)の項には、

明智光秀ガ讒ニヨリ父信盛トトモニ高野山ニノガルル

とあり、光秀が信盛父子を讒言により、おとしいれたとの記述がある。

その信憑性はともかく、江戸幕府が編纂した公的な系譜集に、そのよ
うな記述があることが、光秀のイメージの悪さにつながっていることは
否定できません。


(寛政重修諸藩譜)

下の写真右ページ一番下の正勝項目にその
記述があります

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