2014-06-18 明智資料㉒ 日本史 佐久間信盛追放後の畿内において、摂津衆、大和衆らを、与力として 統率する事になったのが、光秀でありました。 「寛政重修諸藩譜」の佐久間信勝(正勝)の項には、 明智光秀ガ讒ニヨリ父信盛トトモニ高野山ニノガルル とあり、光秀が信盛父子を讒言により、おとしいれたとの記述がある。 その信憑性はともかく、江戸幕府が編纂した公的な系譜集に、そのよ うな記述があることが、光秀のイメージの悪さにつながっていることは 否定できません。 (寛政重修諸藩譜) 下の写真右ページ一番下の正勝項目にその 記述があります