本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑬)
正親町帝の子の中で、実子といわれるが確証はありません。
係性の深さを窺わせます。
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信長の都での常宿であり、恐らく武具等の備蓄のある妙覚寺から、防
禦性の低いと思われる皇族の住まいに、何故移動したかは不明ですが、
この時誠仁親王は、私も腹を切るのかと、織田方に問いただしたといい
ます。
誠仁親王は武を好む人であったといいます。このあたりが信長が次期
天皇として目をつけた理由かもしれません。
記」はこう記しています。
御才参卅五才也ト。自害ナラハ秀吉王ニ被成一定------ー
浅猿々々、女御ヲ誰ソ盗故ト云々。
ります。英俊も何か書きたくて、うずうずしているさまが、文面から伝わっ
てきます。
信長の時代、朝廷内は必ずしも一枚岩ではなかった、と思われます。
信長と誠仁親王を中心とする朝廷内の勢力は、正親町帝に退位を迫りま
すが、信長の真意と朝廷の将来に、不安を抱く正親町帝はそれに抵抗し
ます。
信長が光秀に討たれ、その影響力が朝廷内から除去されると、新たなる
天下人秀吉と結んだ、正親町帝側の勢力が、誠仁親王を圧倒していきま
す。
その過程の中で、誠仁親王は非業な死を遂げたのではとも思われます。
り、後陽成天皇となります。
信長の猶子となった五宮は、仏門に入り法親王となります。
天皇に即位できず、非業な死を遂げた父の魂を鎮魂する意味合いが当然
あったと思われます。
誠仁親王が眠る月輪陵